ごかんたいそう

 僕たちごかんたいそうは、2012年春に神奈川県逗子市、披露山の麓にある古民家を改修して、「ごかんのいえ」という小さな保育園と、「ごかんのアトリエ」というアートスクールを始めました。つくられてから100年近い間いろいろなくらしをみてきたその古民家は、いつも穏やかな風がながれていて、小さいながらも田舎のおばあちゃんの家にきたような、なんともいえないあたたかな空気感に包まれていました。

 

 最初の3年間は、この家で1歳から6歳の子どもたちが兄弟のように一緒になってくらしました。そして、ごかんをはじめて4年目には、同じ披露山の森の中にもう一つ園舎を建てて、「ごかんのもり」という場をつくりました。ごかんのもりは、子どもたちだけでなく、保護者や地域の方々、活動に共感してくれた仲間も一緒になって手作りした菜園が園舎を包み込むようにひろがっています。子どもたちは一年を通して、四季折々の野菜を育て、収穫したものを自分たちで料理し、美味しく頂いています。また、生ゴミと山の落ち葉をコンポストにいれて土を作り、収穫した種を保存して、また次の年に種まきから始める。そんな自然の流れと寄り添うようなくらしを積み重ねています。

 

 一年仕込んで心待ちにしてきたお醤油を絞る日。一番搾りがポタポタ流れてきた姿に感動し、おもわず一口味見した子どもたちの、全身で「美味しい!」を表現している姿。3ヶ月経って春がきて、次の年の醤油を仕込む時に、「今年もおいしくなあれ!」と真剣に願う姿。山の斜面をすいすい登っていく年長さんの姿をみて、ふいに登ろうとしはじめ、必死で土をつかむ一歳の小さな手。園庭のグミの木の下の秘密の場所で摘んできたコーンフラワー、ボリジ、カモミール で本当に美味しそうなお花のケーキをつくっているあの子たちの笑顔。その笑顔を愛おしそうに見つめる大人の眼差し。

 

 くらしとは、想像力を失うと見過ごしそうな、でも本当は、二度と繰り返すことのない小さな奇跡のひとときの積み重ね。こどもたちは、いや、こどもたちと向き合う僕たち大人も、そういった奇跡のひとときを「原風景」として心に積みかさねながら、いきているのかもしれません。

 

 

 

 

 今日もこうしてごかんの場があって、こどもたちがいて、仲間がいること。本当にみているだけで涙がこみ上げそうなくらいに美しいこの風景に出会えていられることは、僕にとってはまったく当たり前のことではありません。

 

 ごかんたいそうは、僕が一人息子を授かったこと、そして乳幼児期に、家内と二人して激しく苦悩した経験からはじまりました。全然寝てくれない、目も合わない、言葉もでない、落ち着きもない。生まれた頃から、いろんな心配が膨らむ毎日。でもどうしていいのか全くわからず、育児書を読みあさって、書いてあることを実践してみてはうまくいかないの繰り返し。2歳、3歳となるにつれ、他の子との違いが目立ってきたように見えて、親としては心配でしょうがなくって、シュタイナー、モンテッソーリ、アートセラピー、療育などとっかえひっかえ息子のためになるんじゃないかという場所をさがしては通わせてみるのですが、どれもうまくいかないように感じて、彷徨うように転園を繰り返しました。そのうち町をあるいていても、僕たち親子3人だけがこの世界から孤立していくような感覚に襲われてきて、一体この子の将来はどうなるんだろう、ってことばかり考えては、先の見えないくらしを送っていたこと、今でも鮮明に覚えています。

 

 そんなくらしを4年近くつづけていた、とある夏の終わりに、ふと思い立って東京から電車に揺られ、逗子海岸に親子三人で遊びにいったことがありました。駅についてから歩いて10分ほど、まっすぐに海に続く道を進んだ先に目の前に飛び込んできた逗子海岸には、心地よい南風が吹いていました。生まれて初めての海、砂浜、潮風を目にした息子は、今までみたことのないような表情で海岸をはしゃぎまわったかとおもうと、そのうち穏やかに砂浜で砂遊びに熱中しはじめたのでした。普段住んでいる街では、多動傾向のあった息子の動きを止めるような発言や行動ばかりしていて、そうした親の動きがさらに息子のパニックを誘発してしまったりの繰り返しでしたが、この海岸ではなにもあたえず見守っているだけなのに、とてもいきいきした表情をしていて、僕たち夫婦にとっては革命的ともいえるぐらいの衝撃でした。

 

 それから1ヶ月後、導かれるように、救いを求めるように、この海岸の近くに引っ越しをしていました。それから毎日のように息子と一緒に海や山を散歩するくらしを始めました。春には海岸にうちあがるワカメやひじきをとりにいったり、夏は一緒に海にはいったり、秋には山でいろんな木の実を拾いに行ったり、冬は海岸で焚き火をしたり。くらしは自然や暦と寄り添っているようで、息子も、いや、息子だけでなく親である僕たち自身も、自然の中でたくさん好奇心がくすぐられたり、感動しあえたり、穏やかな気持ちになれたりしていきました。僕も親として、息子自身の中にある自ら育とうとする力を感じるようになって、すこしづつですが、息子のことを心配して先回りするばかりでなく、他の子と違ってみえていた息子のしぐさや姿も、ありのままの姿として愛おしく見守れるようになっていったことを覚えています。

 

 一方で、一つの不安もぼんやりと膨らんでいました。「普通学級にいけないかもしれないっていわれたけれど、普通ってなに?学校の中で、今の社会の中で、息子はありのままの自分を誇れるようにいきていけるのだろうか」「仕事の打ち合わせをしていても、ニュースをみていても、同調していく空気がなんとなくひろがっているのじゃないだろうか。みんなと一緒の色でいれないなら、息子も僕ももうこの世界ではいきていけなくなるんだろうか。」

 

 小学1年生になったある夕方、宿題で持ち帰った自由作文をしている息子の様子をみると、イマジネーションがあふれたのか400字におさまらなくて裏面にも書きつづりはじめていました。両面書ききったのでどうするのか様子をみていたら、作文用紙の縁をつかいながら、彼の想像と創造は無限の迷路のようにのびていきました。次の日かえってくるとその迷路のような言葉の横に全て赤い線が引いてありました。なんだろう?とおもって丁寧に迷路のような文字の横にひかれてある赤い線を辿った先には「意味がわかりません」の一言が書いてありました。そのとき、ランドセルをおいて息子がお友達とうちの小さな庭で屈託ない笑顔で遊んでいる光景と、このぼんやりとした社会や未来への不安が、電池のプラスとマイナスみたいにつながりあって「この子どもたちが自分の色を自分で描いていけるようなくらしの場をつくる」という一つのあかりが僕の心の奥に灯りました。そして、その灯りは台風のようにぐるぐる熱量をあげていきました。

 

 

 

 

 乳幼児期の息子とすごした時間・経験の記憶と、自分の中で湧き上がっていく台風のような熱情に突き動かされたことが、ごかんがうまれるたねになったのだろうと思います。でも、僕にはたねを芽吹かせて育てていく力はありませんでした。計算や戦略があったわけでもなく、お金も信用もなければ、保育・教育の経験も全くありませんでした。本当になんにももっていない僕の想いは、みるにみかねて住んでいた家を引っ越してまで園舎を提供してくれた友人家族や、開園前日の深夜まで一緒になって準備を手伝ってくれた仲間との出会い、工具や資材だらけの部屋で入園面談をしたのにそれでも入園してくれた園児家族などの存在なくしては、ただの妄想で終わっていただろうと思います。ごかんのもりやごかんのいえの新園舎も、保護者ファミリー、友人、家族、ごかんのメンバーをはじめとした仲間が、毎週末、園舎や園庭づくりを手伝ってくれたり、場所の提供や資金のサポートをしてくださる方とのご縁をいただいたり、他にも書ききれない程のたくさんの方からの有形無形のサポートがあってはじめて生まれたのです。4年目以降に取り組み始めたワークショップやフリーペーパーの発行をはじめとした新たな取り組みも、ごかんの活動に共感してくださった多くの方々とのご縁がなければどれ一つとしてうまれていなかっただろうと思います。

 

 そして、お金も経験もなにもない僕の妄想と暴走をともに手を取り合って歩んでくれている仲間とのご縁。ごかんを始める前にいくつか会社勤めも経験してきましたが、こんなにピュアで涙もろくて、愛にあふれたメンバーがあつまって、今日も場づくりに取り組んでいるという事実も、僕にとっては全く当たり前のことではありません。ごかんのメンバーとのご縁を通じて、肉親じゃなくても家族になれるという気づきもいただきました。

 

 これら全てのご縁は、戦略的に予測しながら生み出したものではなく、まぎれもなく予定不調和な奇跡の連続なのです。そして、こういった予定不調和な奇跡は、ヴィジョンに向かって邁進し続ける力や、時に大きな孤独と向き合いながら一歩前に踏み出す勇気となって僕を支えてくれています。ごかんも私もまだまだ未熟ですが、これからも一つ一つのご縁に感謝しつつ、目の前におこる日常の小さな奇跡をしっかり味わいながら、紡ぎながら、成長していきたいと思っています。

 

 

 

 

ごかんたいそうの取り組みは、なにか新しい教育・保育メソッドを作ろうとしているわけでもありませんし、一過性のムーブメントをつくりたいわけでもありません。

 

一つの小さな想いがたねとなって、ほんの少しの土と水から小さな芽がうまれ、そのうち花がひらき、その花に虫たちが訪れ、少しずつ、草花の種類が彩りをふやしはじめ、その草花たちを訪れる生き物たちもまた彩りをましていく。そうやって小さな小さな生態系がうまれ、その生態系がまた土を豊かにし、その豊かになった土壌の養分の恵みから、また生態系が広がっていく。ときには嵐がやってきて、生態系がごわっと壊れそうになることもあるでしょう。でもそれでも彩りを増した生態系はまたたくましく芽吹き、自立的に彩りをましていく。そうやって生態系は、その中で、絶え間ない新陳代謝を繰り返しながら、いつしか生態系全体が一つの美しい球体であるかのように色を放ち始める。

 

こうやって、長い、長い、途方もなく長い時間をかけながら、一つのたねは育まれ、彩り鮮やかな球体となって、文化をつくっていくのではないかと想像しています。また、その文化が、伝えた誰かのこころのたねになってひろがりながら、ほんのすこしでも「みんながじぶんのいろでえがくひとつのいろいろなせかい」がうまれていったらいいなと願っています。もしよかったら、まだ家庭菜園ぐらいの大きさですけれど、気軽に僕たちのくらしの場に遊びにきてもらえたらとても嬉しいです。

 

現在、過去、未来、大人も子どもも、すべての友人にむけて

 

NPO法人ごかんたいそう
代表理事 全田 和也