2021-06-09

どんな日常にも、たしかに愛はあふれている

当たり前にみえる日常
 忙しくてあっという間にすぎていく日常
 他の人と違う自分ってなんだろうって自問自答が続く日常

 誰にもあいたくなくなるひととき
 どうしようもなく誰かに会いたくなるひととき
 
どんな日常にも、どんなひとときにも
 本当は、あふれんばかりの愛の交流が存在している
 
自分の心に余裕がなくなっているときも
 自分のことばかり考えてしまって誰かを想うことを忘れてしまっているときも

それでも
 絶対にどこかの誰かが あなたに愛を与え続けてくれている 

・・

 ごかんが10年目を迎えたこの春、僕はとても不思議な感覚に包まれながらくらしています。4月からごかんは体制も変わったり園児も変化があったりと、表面的には変化の波が色々ありました。そんな波や揺れを感じつつも一方で、僕はこれまで体験したことがないくらいの、場の穏やかさや、組織としての安心や信頼を感じるようになりました。

 ごかんのことを自分のくらしの場と感じてくれて、常にこの場で起こる様々な出来事に真摯に向き合ったり、明日もっとこの場が豊かになるにはどうすればいいかって悩み考えてくれる仲間が増えてきたことや、特に昨年くらいからはそういった仲間が自ら成長していく姿をみることがとても多くなったこと。そういったことのおかげで、安心や信頼の感覚が自分の心のうちに深く根をひろげはじめているのだろうと想像しています。ここ最近では、仲間が僕に頼らずに(もともと頼りないですけれど)手を取りあって成長していく姿にもはや圧倒されはじめていて、サポートするというよりは、仲間の自立的な成長の邪魔にならないようにしなきゃって意識することのほうが多いぐらいです。

 そんな中で、僕自身も仲間に甘えず自立して新しい役割で貢献できるようにという想いが強くなって、ごかんにとっても、僕にとってもあたらしい一歩を踏みだしはじめたタイミングで、妻に病があることがわかりました。情けないことに僕は妻以上に動揺して数日体調まで崩すという情けない始末でしたが、この事実がわかった瞬間に、妻の命と向きあうことを円の中心において、ゼロからくらすこと・いきることを手作りしなおそう、というとてもシンプルなメッセージが僕の心の中から湧き上がってきました。

 その日を境に、みるもの、ふれるもの全てが体に直接染み渡ってくるような感覚がより研ぎ澄まされるようになりました。そういう感覚で世界にふれると、なにげない日常の場面一つ一つが本当に当たり前に思えなくて、とても新鮮で、頭を経由せずに、体全体にごわーっと染み渡ってくるのです。

そして、それから今日にいたる数週間は、人の心に触れることがなんどもありました。

妻の療養のことや、この春高校を卒業して音楽の学校に進むために一人暮らしを始める息子の新生活の支度、そして仕事のことでてんやわやの中、息子の学校がある街で面白いまちづくりをしている昔からの先輩夫妻が、本当にありえないぐらい親身になって有形無形たくさんの支えになってくれたり。僕はそんな支えをしてくださるとは全く予想してなかったので申し訳なさすぎると思って伝えたら「なにいってんの友達やんか。こういうときは助けあったらいいやんか。」っていってくれて。不覚にもその瞬間、その人の胸をかりて赤ちゃんみたいにわんわん泣いてしまいました。家に帰ってそのことを伝えた瞬間に涙が溢れる妻の表情も、僕の心をあたたかくしてくれました。

その先輩を介してこの春新しく友人になった方々も本当に心地よい距離感で心配りをしてくれて、ヨガにさそってくれたり、苗をわけてくれたり、体に優しいお料理をいただけたり。安心感ってお付き合いの時間の長さと必ずしも比例しないんだなってことを体験から気づかせてもらえています。

ごかんを始める原体験をあたえてくれた我が息子。乳幼児期に発達に遅れがあるといわれて、夫婦二人で悩みに悩んで向き合ってきた息子。勉強もできないし、寝坊すけだったり、僕に似て部屋やかばんの中をぐちゃぐちゃにしがちですが、とても心穏やかで優しくて、そして独特の度胸というか表現力をもっています。小学校から高校までお友達はたくさんいて、授業以外は個性豊かな表現をしてきたけれど、授業はつまらなそうにしていたあの息子が、好きな音楽漬けの生活をしはじめたとたんに、朝から夜遅くまで自分から音楽の勉強に打ち込んだり、妻を元気付けようと弾き語りをプレゼントしてきたり。彼が自然体で表現してくれる生きる歓びは、妻にも僕にも大きな元気のもとになっています。

この数週間、妻の体にいいかもとおもって、二人して山で薬草を摘んだり、庭でたくさんハーブや野草を育てはじめているのですが、鎌倉の友人の家に妻の体に効くかもとホーリーバジルなどいろんなハーブの苗をもらいにいったら、その場で「これ奥さんにいいと思うからもっていって!」と自家製の酵素をいただけたり。いつもと変わらない彼女独特の少年みたいなカラっとした笑顔が、今の僕には深く染みてきます。

南房総にすむ友人は、なんどもメッセージをくれたり、何時間もかけて僕たち二人に会いにきてもくれました。彼とは頻繁には会えないのですが、あうとすぐに兄弟のように戯れることができる関係で、いつも家族のような深い安心感を感じさせてくれます。その友人は一昨日の帰り際にこう伝えてくれました。「まっちゃんは無防備でいたらいいよ。人が無防備でいる姿って僕にとっては強さや美しさを感じる。辛くなったり、不安になったり、答えも先行きも手探りの中で戸惑っているっていうことや、どこにむかっていいかわからないけれどとりあえずこっちにすすんでみたいとか。ただそのままの心のうちをこうやって僕にシェアしてくれることが僕にとっては大きなギフトだよ。まっちゃんは僕になにか期待や要求をしているわけでもないし、僕もなにか解決を与えられるわけでもないけれど、受け止めることはできる。僕に対して安心感を感じてくれているようでとても嬉しい。ありがとう。」時々いいようのない不安に襲われる今の僕にとっては心の安堵につながる特効薬のようでした。

先日は、近所に住む友人家族が「スリランカカレーいつもたくさんつくりすぎるから二人でたべにこない?」って誘ってくれました。その友人家族は、なんにも変わらないいつもの穏やかな空気で僕たち夫婦を包んでくれて、病のことに一言も触れることなく、ただただ日常の豊かな家族の食卓をシェアしてくれました。小さな息子さんがちょこんと妻の膝にすわってくれて、その姿を愛おしそうにみている妻の顔をみているうちになんだか頭がぼーっとなってしまって、その日は、お呼ばれしたのにほとんど言葉がでてきませんでした(あいつ今日うわの空やったなーっておもわれてたらごめんなさい)。

ある朝、ふいにおもいたってガラス作家の友人に二年ぶりぐらいに連絡をとって、鎌倉の海が一望できる気持ちの良いお家にお邪魔したら、窓際にとっても可愛らしい薄い水色のちいさな一輪挿しがおいてあって、素敵ですねってお伝えしたら、譲ってくれることになったり。久しぶりなこともあっていろんな話を交わしている中で、いろいろ物入りになったので、葉山の家を引き払って最大限、住居費も節約したいんですよねってなにげなく言ったら、その一言がきっかけになって、友人がセルフビルドした小屋が空いてるんだけど相談してみようかといってくれて。そしたら、本当にそこからつながってお会いできることになってお会いしてみたら、僕の別の友人の弟さんだったことがわかってお互いびっくりしたり。

先週金曜日の夕方、園の隅っこの部屋でパソコン仕事をしていたら、不意に、最近元気にしてるかなって気になっていた友人から新規メールのお知らせが届きました。そのメッセージには「奥さんが療養中とききました。なにかできることはないかと考えています。奥さんのことを想って、これから祈り続けることにしました。祈りの力は本当に届くそうなのです。」とだけ書いてありました。このメールを見た瞬間、僕は保育中の部屋の片隅で泣き崩れてしまいました。この友人とは、偶然のシンクロを起こすことが多くて不思議な縁を感じているのですが、これは完全に不意を喰らった感じで、トイレに隠れて泣きながら「業務時間中にこんな反則技のメールおくってこないで!」と返信したのでした。

そして、ごかんのこどもたち。仲間。家族のようなこの存在が、ときにさりげなく、ときにまっすぐなまなざしで、僕たち夫婦に与えてくれる愛にどれほど助けられているか。彼らがありのままに日々いきる姿は、全てが愛にあふれていて、命の美しさに圧倒されるばかりです。仲間にこれからどうしていったらいいか相談したときは、パソコンの画面越しでもわかるぐらい本当に優しげな表情で時折、ともに涙を流しながら僕の心に寄り添ってくれました。1週間ぶりくらいに園庭で僕に声をかけてくれた仲間は、僕の姿がみえた瞬間にジーンときて泣きそうになっちゃったっていってくれて。そしたら本当に目に涙を溜めていたので僕の方まで泣きそうになって、必死に堪えながらその場から逃げたこともありました。こどもたちの自然の中の遊びはどうやったらもっとひろがるかって色々考えて、落ち葉を貼り絵のようにした絵本を手作りしてきてくれたメンバーもいて、彼がいきいきとした生命力を発しながら、そのエピソードを伝えてくれるた姿はとてもとても美しいものでした。先々週の昼下がりに、デッキで一緒になって絵本を読んだり、わらべ歌をうたいあうこどもたちと担任メンバーが生み出していたなんともいえない一体感も鮮明に目に焼き付いています。

全ての出来事を書いていたらまだまだキリがないぐらいに、この数週間の日常には溢れんばかりの愛がたしかにつまっていました。そして、まず間違いないだろうなと想像しているのですが、ウイルスが世界を包み込んでいったこの1年も、大きな地震と津波に見舞われた10年前も、僕が生まれるずっと前も、これから何十年先の未来も、どんなときにも、僕たちの日常には愛が溢れているんだろうと思います。

そんなことを信じさせてくれる、全てのご縁に改めて感謝です。

いつもありがとうございます。

全田和也

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